分子の極性が原子間力顕微鏡で見えた
本当に大切なものは目に見えません。野に咲く花が色とりどりであったとしても、夜空に瞬く星々が輝かしいものであったとしても、肉眼には限界があります。より遠くを見ようと望遠鏡が登場したのと同じように、より小さなものを見ようと顕微鏡は改良が続けられてきました。そして、最新技術は、分子の周りをめぐる電子の分布までをも見通そうとしています。
ドイツのAlbrecht氏らは、2015年、分子の極性を原子間力顕微鏡で観察してみせました*1。
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原子間力顕微鏡で分子が見える
分子は小さい。とても小さい。普通の顕微鏡では見えません。小中高の学校にある顕微鏡ではまず無理です。光学顕微鏡ではなく、電子顕微鏡を、というのも、ひとつの方法ですが、しかし、試料の条件であるとか技術的な多数の制限事項があります。そして、見たいものが見えません。
原子間力顕微鏡は、いわゆる光学顕微鏡や電子顕微鏡とは違う特別な顕微鏡で、もとは1985年にドイツのBinnig氏らが発表*2 したものでした。探針を試料に接近させ、さながら試料の表面をなぞるようにして、凹凸を調べていきます。原子間力顕微鏡が高性能化されると、ペンタセンというベンゼン環5つがまっすぐ連続した分子を試料にして、2009年に初めて、分子の化学構造を可視化することに、スイスのGross氏らが成功*3しました。たとえ分子であっても、見たいものが見えるようになったのです。翌年に彼らは、未知の天然有機化合物の構造決定にも原子間力顕微鏡を役立てることができると実演*4しています。
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従来の限界はどこにあったのか
電気陰性度とは、共有結合した原子が電子を引き寄せる強さを表す尺度です。共有結合でつながれた原子の種類が異なるとき、大なり小なり共有結合には必ず極性が生まれます。例えば、炭素原子とフッ素原子ではフッ素原子がマイナスの電気を帯び、炭素原子と水素原子では水素原子がわずかにプラスの電気を帯びます。
共有結合に極性があると、電子の分布が変わります。原子間力顕微鏡を使って見るとそれらしい違いは分かるものの、再現性があり理論計算と合致するしっかりした見え方ではありませんでした。
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理論予測と合致した正しい見え方
ドイツのAlbrecht氏らは、原子間力顕微鏡を使った観察とデータ処理のスキームを見直し、分子の極性がしっかり見える方法を見出しました。実際の観察では、次の2つの水銀化合物を使いました。水銀の元素記号はHgです。
そして、次のように見えました(転載許可取得済)。青から黄色、そして赤への擬似カラーが、画像処理された実際の見え方で、輪は推定される原子の位置を表しています。水銀原子の場所がしっかり見えている点がポイントだそうです。
フッ素原子のある部分は、マイナスの電気を帯びており電子豊富なはずで、図では赤く示されています。水銀原子のある部分は、プラスの電気を帯びており電子不足なはずで、図では青く示されています。従来の方法では、この部分がちゃんと見えておらず、ベンゼン環中央の電子分布との関係が逆転した間違った見え方でした。新しい方法での見え方は、密度汎関数を使ったDFT計算による予測と一致しており、正しいものだと考えられます。黒板に書かれた赤チョークの字が見えない人のいるように、しっかり見えるということは、いろいろな条件に左右されて決まります。
【原著論文】
"Probing Charges on the Atomic Scale by Means of Atomic Force Microscopy."
F. Albrecht et al. Phys. Rev. Lett. 2015 DOI: 10.1103/PhysRevLett.115.076101
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物質は原子でできている
もしもいま何か大異変が起こって、科学的知識が全部なくなってしまい、たった一つの文章だけしか次の時代の生物に伝えられないということになったとしたら、最小の語数で最大の情報を与えるのはどんなことだろうか。かのリチャード・ファインマンは、物理学の教科書として名高い『ファインマン物理学』のはじめ*5で読者にそう問い、それは「物質は原子からできている」という原子仮説だろうと、答えています。
コロイド粒子の観察や、エックス線結晶構造解析で裏付けられたこの原子仮説は、今や原子間力顕微鏡によっても確かめられました。もしも人類が滅びるならば、「物質は原子からできている」という文章といっしょに、原子間力顕微鏡で撮影した分子の写真も、タイムカプセルに収めて埋めるとよいかもしれませんね。
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アンケート
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参考文献・ウェブサイト
*1:"Probing Charges on the Atomic Scale by Means of Atomic Force Microscopy." F. Albrecht et al. Phys. Rev. Lett. 2015 DOI: 10.1103/PhysRevLett.115.076101
*2:"Atomic Force Microscope." Gerd Binnig et al. Phys. Rev. Lett. 1986 DOI: 10.1103/PhysRevLett.56.930
*3:"The Chemical Structure of a Molecule Resolved by Atomic Force Microscopy." Leo Gross et al. Science 2009 DOI: 10.1126/science.1176210
*4:"Organic structure determination using atomic-resolution scanning probe microscopy." Leo Gross et al. Nature Chemistry 2010 DOI: 10.1038/nchem.765
*5:ファインマン物理学1力学 P.4