バンショ和ゲゴヨウ

注目論文ツイート中の人がつづる自然科学の解説拠点

自然界への挑戦!テルペン環化を人工の超分子空間で

 f:id:I_LoveScience:20150816183421j:plain

 テルペンのなかまには、よい匂いがして香水に使われるなど、さまざまな機能成分が多く知られています。テルペンのなかまを化学合成するちょっとトリッキーな方法が、新たに報告されました。「超分子」というものを、使うというのです。

 

 自然界では、複雑な構造をした化合物が、巧みに生合成されます。同じものを、実験室にあるフラスコの中だけで人工的に化学合成することは、今なお困難がともないます。テルペン類の人工合成も、一筋縄ではできません。工夫がいります。

  • たくさんの種類があるテルペンをもしも作り分けられたら

 テルペン類は、生体内でイソペンテニル二リン酸を原料に生産される広汎な化合物群であり、炭素原子と水素原子からなる分子が多く、柑橘類の皮に含まれるリモネンなど具体例は枚挙に暇がありません。「テルペン」の名称は、樹木のチップを蒸留して得られる精油エッセンシャルオイル)を意味する「テレピン油」に由来し、今では類似の構造を持つ化合物一般を指す呼称になっています。

f:id:I_LoveScience:20150816183442p:plain

 生体内では、テルペン類が持つ複雑な炭素骨格をそのままに、テルペンの1種であるカウレンから植物ホルモンとなるジベレリンが作られたり、テルペンの1種であるタキサジエンから抗ガン剤になるタキソールが作られたりします。多くの天然化合物にとって、テルペン類に起源を持つ複雑な炭素骨格を構築する過程は、生合成全行程の重要ステップと言えます。

f:id:I_LoveScience:20150816183454p:plain

 自然界では、複雑な環を持つテルペン化合物であっても、単純な直鎖のテルペン化合物が、分子の頭部から尾部へと環化してできると言います。この反応は、フラスコ内の溶液中では制御しにくく、選択的にテルペンの環化を促進させる人工の触媒はありませんでした。

 酵素の狭い穴が環化の鍵だと考えられていましたが、実際に選択的な化学合成をやって見せた人はいませんでした。Zhang氏とTiefenbacher氏*1は、超分子の作る狭い空間で、生体内と同じことができるかもしれないと考えました。超分子とは、複数の分子が自分と相手を認識しあい自己組織化してできる構造のことです。選択的とはいかないものの反応例*2 はすでにあり、Zhang氏とTiefenbacher氏のアイディアは理に適っているように思えます。

 

 2分子のイソペンテニル二リン酸から1分子のゲラニル二リン酸ができます。ゲラニル二リン酸もテルペンの原料になります。Zhang氏とTiefenbacher氏は、ゲラニル二リン酸の代わりに、ゲラニオール酢酸ゲラニルを、超分子の作る狭い空間に取り込ませてみました。

f:id:I_LoveScience:20150816183515p:plain

 本来の反応生成物は雑多な混合物でしたが、酢酸ゲラニルの場合は反応条件を整えるとテルペンの1種であるテルピネンが選択的にできあがりました(収率35パーセント)。超分子の作る狭い空間がテルペン環化酵素の代わりになったのです。

 この発見は、海外の複数のメディアで、より一般の読者に向けても紹介されました*3,*4,*5

 

  • 超分子空間でできることとできないこと

 酢酸ゲラニルの代わりにゲラニオールを超分子の作る空間に取り込ませた場合は、できないわけではないものの、高い収率でテルピネンだけができることはありませんでした。さながら同じ部屋でもたくさんの人がいれば狭いと感じるように、超分子の作る空間でテルペン環化が起きるためには、酢酸ゲラニルにあるアセチル基が不可欠だったようです。

 Zhang氏とTiefenbacher氏の方法はたまたまテルピネンができただけであり、そのままの方法で複雑なテルペン化合物が何でも化学合成できるというわけでは決してありません。原料分子に合わせて、超分子空間の形を調整することは、試行錯誤なしにはできません。今回の進歩は、テルペン環化が起きるとき狭い空間の果たす役割が解明された点にあると思われます。

f:id:I_LoveScience:20150816195734p:plain

 また同時に、実際のテルペン環化酵素で起きる反応過程の理解を助けるヒントも得られました。従来、テルペン環化の酵素反応はトランス型の中間体からシス型の中間体への変化がともなうと考えられていました。ただし、この変換は自由エネルギー障壁(活性化エネルギーのこと)が55 kJ/molと高いため、実際に起きているのか疑問視されており、もし本当だとしても、酵素に狭い空間があること以外で、もっと他に何か作用があるのではないか、とも言われていました。しかし、超分子の作る空間で、テルピネンができたことから、狭いということは意外と重大なことのようです。

 【原著論文】

"Terpene cyclization catalysed inside a self-assembled cavity."

Q. Zhang & K. Tiefenbacher Nature Chemistry 2015 DOI: 10.1038/nchem.2181

  自分にもできる。そう思って試しにやってみたら、相手の技術の高さがもっと分かった。そういう人生経験は、まれにあります。人類も自然を見倣って、さらなる高みへ発展し続けるといいですよね。

 

  • 過去のおススメ記事 

  •  アンケート

  • 参考文献・ウェブサイト

*1:"Terpene cyclization catalysed inside a self-assembled cavity." Q. Zhang & K. Tiefenbacher Nature Chemistry 2015 DOI: 10.1038/nchem.2181

*2:"Selective monoterpene-like cyclization reactions achieved by water exclusion from reactive intermediates in a supramolecular catalyst." Hart-Cooper WM et al. J. Am. Chem. Soc. 2012 DOI: 10.1021/ja308254k

*3:Science Daily; "From the scent of geranium to cough medicine"

*4:Phys.org; "Simple catalyst helps to construct complex biological scaffolds"

*5:Nature Chemistry News and Views; "Supramolecular catalysis: Terpenes in tight spaces"